特別鼎談
松本幸四郎 × 市川染五郎 × 山野愛子ジェーン

SUPER SPECIAL PROGRAM

高麗屋、父子二代で守る伝統と美

つないできたものを、次の時代へ──

全世界を襲った新型コロナウィルスの流行により、長い伝統を持つ歌舞伎界も大きな苦悩の時代を迎えました。そんな中、「図夢(ずうむ)歌舞伎」としていち早くオンラインでの歌舞伎配信を開始、誰よりも”行動の人”であることを歌舞伎ファン以外にも知らしめた十代目松本幸四郎さん。一方、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では細やかな演技とその美貌で日本中を虜にし、6月には歌舞伎座で初の主役を務めた御子息・八代目市川染五郎さん。いま歌舞伎界でもっとも輝く父子と、山野学苑理事長・山野愛子ジェーンによるスペシャル鼎談が実現しました。
歌舞伎におけるお化粧のことからはじまり、幼い頃からお稽古に励んだ日々、新しいことにチャレンジするお気持ちなど、伝統芸能にたずさわり、代々つないできた者だからこそ語れる興味深いお話をお届けいたします。

演じるために大切な”化粧”

山野愛子ジェーン(以下J)

今日はお忙しい中、ありがとうございます。
高麗屋さんとは私の娘のミアを通じてご縁をいただき、親しくお付き合いをさせていただくようになりました。
昨年は、幸四郎さんに私が宗家を務めている山野流のシンポジウムにもご登壇いただき、歌舞伎メイクをご披露いただきまして、みなさまに本当に楽しんでいただきました。

歌舞伎にとってお化粧はなくてはならないもので、隈取にもいろいろな種類がありますが、その役割や工夫などをおうかがいできますか。

松本幸四郎さん(以下K)

そうですね、そもそも教わって習うものがつながって歴史ができていて、ひとつの役であったらこういうお化粧だということが、ある程度決まってはいます。
でもそれをそのまましても、人間の顔は全員違いますから、自分に合った化粧のバランスですよね。そういうものを研究していかなければならない。

K

あとはやっぱり、歌舞伎のお化粧はいわゆるナチュラルメイクではまったくありませんので(笑)、そういう意味では変身できると言いますか。自分が自分ではない人間に変身できる。
そういう楽しみもあったりして、何か力をもらえるんじゃないかと。
自分はお化粧をすることでスイッチが入る。そういうものとしても大事な役割ですし、自分でお化粧をするというのが、意味があることなんじゃないかなと思います。

ありがとうございます。
小さいときからご自分で化粧をすることにも驚きました。
幸四郎さんは、大体いくつからご自身で?

K

僕はたぶん、14〜15歳じゃないかと思います。人それぞれですけどね。
息子の場合は全然早いです。

市川染五郎さん(以下S)

8〜9歳くらいからですかね。

K

それがひとつのきっかけで、最初は(人に)やってもらえますが、されたもので何かを覚えていくということもあります。
お化粧に関して言えば、8歳で自分でというのは、たぶん相当早いと思うんですよね。

J

早いですよね。染五郎さん、そのときはいかがでしたか?
もしかしたら普通だと思われたかもしれないけれど。

S

小さい頃はしていただいていたんですけど、してくださった方が亡くなってしまって、それがきっかけで自分でするようになったんです。
いまもその方のことを思いながら化粧はしているので、そういう意味でも自分にとっては役を作っていくうえで大切な工程のひとつだなという感じです。

J

とくに工夫してるところはありますか。

S

基本的には父から教わってやるんですが、他の方の写真や映像を見て、自分なりに研究したり。
あとは、客席で遠くから見てもはっきり顔がわかるような化粧でないといけないので、客席のあらゆる角度から見られたときを想定してするようにはしていますね。

J

やっぱり慣れて自信がつくまでは、時間がかかりましたか?

S

そうですね。眉毛とかも、角度や高さが1ミリ違うだけで、顔全体の印象が本当に変わってしまうので、慣れるまでにはすごく時間がかかりました。

J

そうなんですね。
染五郎さんは2022年春からシュウウエムラの日本ブランドアンバサダーに就任されました。
就任にあたってのインタビュー記事では、「歌舞伎は鬢付け油の上に白粉と重い化粧するので、クレンジングオイルを重宝している」とおっしゃっていましたね。
また、幸四郎さんも昨年のシンポジウムで、「歌舞伎はいろいろな役を演じるので早く化粧を落とさないといけない」とおっしゃっていました。
やはり毎日お化粧をするために、基本的な肌のお手入れなどには手をかけていらっしゃるのでしょうか。

K

とにかく肌が乾燥してカサカサになるので、本来は(ケアも)しなければいけないんですが、その辺は息子のほうが詳しいと思いますよ。
ただ歌舞伎役者は、男でもこれだけ鏡で顔を見て、洗顔をしている。
厚化粧ですから、しっかりと落とさなきゃいけませんからね。
そういう意味では、「メイクを落とす」「顔を洗う」「何かをつける」ということを、これだけ頻繁にやっている男というのは、歌舞伎役者がダントツではないかと思うんです。
だから意外と厚化粧っていうのは、肌のためにはいいのかなって(笑)。
何もしていなければ、逆に洗顔も適当かもしれないし、肌のケアが気になることもないでしょうから。

J

全部落とさないと、見えちゃいますものね。

K

そうですね。今日は白塗りで帰ろうというわけにはいかないですから。

J

そうですよね(笑)。

K

息子はものすごく詳しい。いろいろ使っていて。

J

これからいろいろなものを、お父様に分けてあげなきゃいけませんね。
でも、ふたりともすごい綺麗なお肌。

S

自分もそんなに詳しいわけではないのですが、いつもやってくださっているメイクさんが、自分の肌のことをよくわかってくださっているので、その方に教えていただいたりしながらケアはしています。

J

フェイスパックとか、そういうフェイシャルケアはなさってますか?

S

自分はしています。

J

私もやらないといけないけど、なかなか……。
みんなに「毎週エステに行ってるんじゃないの?」って言われるけれど、行ってないの。
そろそろ行かなきゃと思うんだけど(笑)。

J

全部落とさないと、見えちゃいますものね。

最近はジェンダーレスな時代になって、男性も日常的にメイクをする方が増えてきています。

おふたりとも幼い頃からお化粧が身近なものだったと思いますが、お化粧をすることで、何か気持ち的には変わることはありますか。

S

自分は化粧したときがいちばん気持ちが切り替わるというか……歌舞伎の舞台のときもそうだし、今回のような撮影のときもそうなんですが、肌に何かついているという感覚=お仕事に気持ちを切り替えると言うか、普段と仕事で気持ちが切り替わるところでもあります。
もちろん、衣裳を着たり、髪型も役に入っていくための工程ではあるんですけど、自分がいちばん変わるのは、メイクをし終わったときかもしれないですね。

J

メイクをしたら、キャラクターに入る気持ち?

S

そうですね。舞台に出るときも、楽屋に入って役の支度を始める最初の工程が化粧なので、そういう意味でも、いちばん役に近づく時間かなと思います。

J

染五郎さんは本当に小さいときから、セリフもメイクも衣裳もお勉強をなさっていて、いつもすごいなと思っていました。
学校の勉強では、あの頃音読がありましたよね。
でもセリフの練習もされていたので、お母様に「(染五郎さんは)もう音読はやらなくていいですよ」と言ったことがあります。

じゃあ、メイクはいちばん最初なんですね。幸四郎さんはいかがでしょうか。

K

そうですね、お化粧をしているときというのは、いちばん静かな時間ですので。
あとは衣裳を着たり、舞台に行ったりということになると、もうバタバタバタバタとしますけれど、(化粧の時間は)静寂の時間でもある。
そういう意味では、すごく大事な時間だなとは思いますね。

J

今回の撮影はそうではなくて、ごめんなさいね。みんな大騒ぎ。
粉を投げたり、いろいろやってしまって、静かな時間ではなくなってしまいましたけど。

K

それはでも、そこで何が生まれるかわからない、どうなっていくのかわからない、それ以上の何かの瞬間を切り取ることができるというのは、本当にすごい刺激ですから。
舞台の場合には計算と言いますか、客席と舞台という制限された中で観ていただくので、ある程度稽古を積んで「こういうふうにする」ということで完成していくわけです。
そういう意味では、お化粧などの過程が必要だと思いますけれど、今回のような撮影は、どれだけ感性が生かされるか。
何が生まれるかわからないというときには、感覚というものが出ないといけませんからね。
おそらく今回の撮影ではバッとそれが出ましたが、それが作品になったとき、あの時間が切り取られて、残るものとしてできあがる。
これはこれで、そうでないと味わえない時間ですよね。

J

ありがとうございます。
たとえば舞台の前など、みなさんに寄ってきて欲しくない時間があると思うのですが、舞台に出る寸前とかメイクのときなど、静かに考えている時間はありますか?

K

やっぱり顔かな。化粧している時間。

S

化粧の時間ですね。

J

シーンとして、ちょっと落ち着く時間なんでしょうね。

父子で歩む”歌舞伎役者”の道

染五郎さんは、幼い頃から学業の他にたくさんのお稽古事もされているお姿を拝見してきましたが、歌舞伎のための勉強で楽しいこと、苦しいことはありましたか?
幼稚園の後にお母様が毎日どこかに連れて行かれていた記憶があるのですが、その頃は楽しいと思っていましたか?

S

正直、小さい頃の記憶があまりないんです。
もちろん好きでやっているので、楽しかったとは思うんですけれど、毎日舞台に立っていて、その日の自分の舞台を映像などで見返して、「ここがダメだったから明日はここを直そう」とか、そういうふうに毎日自分のお芝居を見つめ直していると、楽しいと感じる心の余裕がないというか。
「どうやったらもっと良くなるだろう」ということだけしか考えられないので。

お稽古事の中でいちばん好きだったもの……何かfavoriteはありましたか?

S

踊りはすごく楽しいです。あとは、それこそ化粧の話になりますけど、隈取。
歌舞伎らしい派手な隈取をする、ちょっと荒々しいような役に小さい頃から憧れがありまして、それはいまでもそうなので、そういう派手な化粧をする役をやるときが、いちばん好きかもしれないですね。

お化粧が好きで良かったですね。私たちの世界にもスカウトしたいくらいです(笑)。
幸四郎さんから見て、ご子息の成長ぶりをどう感じていらっしゃいましたか?

K

子どもの役をやっていた小さい頃は、たぶん僕よりも(演じた)数は多いかなと思います。
小さい子ですけれど、すごく大きな役をやるチャンスに恵まれたりもしました。
それには本当に真正面から正直にぶつかっていって、具合が悪いときもありましたけど、でも、舞台は休まず務めたという経験が──これは自分の記憶に「ある」「ない」に関わらず、実際に自分が経験したことなので、それが大きくなってからどんどん逆に支えになっていくというか……。
「小さいときにあんなに大変だったけど、自分はやれたんだ」ということが支えになっていくんじゃないかなと思っています。
いまはもう本当に、(父子で)どっちが高いかわからない身長になりまして、いわゆる大人の役をやりますが、子どもの役はそのときを逃したら二度とめぐってこない。
そういう意味では、すごく恵まれた舞台だったと思いますし、逆にいまは、大人の役でないとできない体ですから、そういう意味ではどんどんそれに向かって勉強して、できないことをひとつでも多くできるようになるということ。

K

あとは、自分の限界をどんどん遠くにする。
「これとこれをやったら壊れちゃうんじゃないか」と思うことでも、「やる」という思いがあればぶつかっていけるのではないかと思いますし、それで達成できれば、「自分の限界はまだ先にあるんだ」と思える。
これからそうやって、できないこと、知らないことができるようになり、知っていく。
あとは、「やりたい」という思いがあるのであれば、それを支えていくという時期になっているのかなと思います。

”挑戦し続けること”を受け継いでいく

幸四郎さんは歌舞伎座名物にもなっている「歌舞伎パック」や、口紅や頬紅としても使える「擽紅(らくべに)」など、さまざまなグッズをプロデュースされたりしていますね。
こういうアイデアはどういうときに生まれるものなんですか。

K

単なる思いつきですし、思いつくために「新しいものは何だろう」といろいろなものをリサーチしているわけではなくて、ヒントは「日常の中にあるもの」というところなんじゃないかと思っています。
日常生活でみなさんが使われているもの、触れているもの、見ているもの、やっていることに、歌舞伎というものが入り込んでいけないかなと思っているので。
そのひとつはメイク。
いまは本当に、男性もメイクをされる方が多くなりましたが、メイクはいわゆる日常だと思いますし、パックもそうでしょうし。
何が日常なんだろうということを考えていると、何か結びつく瞬間ができるなというふうに思いますね。

そういう、日常と歌舞伎が結びつく瞬間みたいなことを普段から考えていらっしゃることが、新作歌舞伎であったり、図夢歌舞伎などにもつながっているように感じます。
伝統芸能の世界にいながら新しいことに挑戦されるのは、どういうお気持ちからでしょうか。

K

ひとつは自分が観たいものというのがありますね。観たいものがないのであれば作るしかないので、作る。
観たいものがやっていれば観に行くのがいちばん楽ですけど、作らなければないのであれば作るという、苦しい選択をするしかない(笑)。
「新しいものは何だろう」と思って探していても、「これを新しいものとして始めても、昔やったことがある」とどこかで知ったら、やる意味がなくなってしまうじゃないですか。
やったことのないものを作るということだけが目的なので。
なので、自分が観たいものを作る。
それは絶対、みなさんにも感じていただける。共有できるだろうと信じてやっているという感じですね。

染五郎さんは、たくさんいろいろなことに挑戦されるお父様のお姿をずっとご覧になってきて、先駆者としてのお父様のお姿をどんなふうに感じていらっしゃいますか?

S

「こういうことをやったら面白いだろうな」という想像や思い付きを想像だけに留まらせず、ちゃんと形にしているところがすごいなと思います。
自分にも「こういうことをやったら面白いだろうな」というものはたくさんあるんですけど、まだそれを形にできる段階ではないので。
早く形にしたいなという気持ちはあるんですけど、いずれ自分もいままで溜めてきた想像を、いつか形にしたいなと思いますね。

J

親子共演をされるような新作も、楽しみですね。
それは日本でですか? ぜひカリフォルニアでも。
またラスベガスに行きたいと思っているんです。大変だったと思いますが、とても楽しかったですから。
幸四郎さんは、毎晩ベラッジオの噴水の中で公演を行ったひとりですからね。
もし英語を勉強したければ、いつでもお電話ください。I’ll speak to you.(笑)

J

そして、歌舞伎に限らずいろいろなものがそうですが、時代に合わせて変わっていきながらも芯を残していかないと、世代を超えて伝統を残すのは難しいのかなと思います。
山野家も初代山野愛子から始まった「美道」を一族で追求しています。
私は途中で跡継ぎであることを聞いて、「どうして日本に残らなきゃいけないの?」と思いましたが、おふたりはお祖父様もお父様も歌舞伎役者だということで、選ぶ権利もなく継いで、でもいまはやっぱり楽しいから役者をしているという気持ちですか?

K

決して「こういう家に生まれたから継がなきゃいけない」ということはないです。
(歌舞伎の世界で)これだけはっきりと代々継がれる方がほとんどになっているのは、たかだか100年ぐらいだと思います。そもそもそういう歴史ではなかったので。
ただ、先人や師匠の芸を残すうえではやはり、その家を継ぐという覚悟と言いますか、そういうものも大きいのかなとは思います。だから代々続いてきたんですね。

K

うちの場合は比較的こう……それこそ「オペレッタ」を日本人で初めてやった人が曽祖父だったり、祖父も伝統芸能の中で「やってはいけない」と暗黙の了解であったこともやったり。
父はブロードウェイやウェストエンドへ、それも日本人のミュージカル俳優として行きましたし、歌舞伎でもいろいろと父しか達成していないことがあったりするので、比較的、役者としての挑戦をし続けることでつながってきたという感じがします。
芝居や芸で、人に感動していただく──それが自分の役割なんだということが、とても強い家じゃないかなと思いますね。
自分もしたいと強く思っていますし。

J

染五郎さんもお父様やご先祖の方々から、ご自分の中に脈々と受け継がれてるなと感じられるようなことは、何かありますか?

S

それは自分で感じることではないと思うんですが、歌舞伎の中ではもちろん、歌舞伎以外のことにも挑戦してきた家だと思っていて、自分も挑戦したいなという気持ちはあります。
でも、歌舞伎以外のことに挑戦しても、歌舞伎役者であることは絶対忘れないようにと、常に意識しています。
何かひとつでも、曽祖父や祖父、父とは違うことをしたいなという思いはありますが、結局、自分のいちばん大きな役目は、高麗屋がつないできたものを次の世代につなげていくことだと思うので、それがいちばん自分の大きな、歌舞伎役者をやっている目的だなと思います。

J

すごいことを言いますね。まだ16歳ですよ! しっかりしていますね。
本当に、ずっと応援していきたいなと思っています。

J

では最後に、幸四郎さんは2024年には、吉右衛門さんが演じられた「鬼平犯科帳」シリーズの映画とドラマで主演されることが決まっていらっしゃいますね。
また新しいお姿を拝見できることをとても楽しみにしています。
そのことも含めてこれから先、何か新しいチャレンジや、ご自分の中で構想されていることで、お話しできることがあったらうかがいたいです。

K

正直、いまはこのような事態になっていますので、歌舞伎は本当の危機状態にあります。
ですから、「こういうものをやりたい」「こういうものに挑戦したい」「これを目指したい」という中期的、もしくはもっと先の目標・夢は抱いていますけれど、「明日なくなるかもしれない」という毎日なので、そういう夢物語を考えている場合じゃない。
とにかく一年中、毎日歌舞伎がどこかで必ず上演しているということがいちばんやりたいことですね。
そのためにはいろいろな制限がありますけれど、上演時間に制限があるのならば、3時間の芝居を1時間で上演する。
そういう、江戸の古典に手を入れることができると言いますか、ある意味、進化するチャンスでもあるので、この中でどれだけ多くの歌舞伎ができるかということばかりですね。
歌舞伎座は、ありがたいことに再開してから毎月開いていて、これからもいろいろと工夫された公演が続いていくと思います。

J

コロナ中は大変でしたものね。公演を行うにあたって、上演時間を短くしたり、席を空けたり、しゃべっちゃいけないということもあって、いろいろな工夫しながらやられていました。

K

そうですね。
お客様にも本当にたくさんご協力いただいて、それで観に来ていただいているので、ありがたいです。

J

でもみなさまには、世界中にたくさんファンがいらっしゃいます。
またアメリカなどに行ける日が来たらうれしいです。ついて行きますよ(笑)。
今日は本当に長い時間、どうもありがとうございました。

K

はい、どうもありがとうございました。

S

ありがとうございました。

※本記事は2022年3月に行われた鼎談をもとに作成しています。

「SUPER BIDO」は、初代山野愛子が提唱した「美道5大原則」の理念にのっとり、美容の理論と実践を通して、変わりゆく多様な文化の足跡を残すべく立ち上げたプロジェクトです。世界で活躍するアーティスト、山野学苑OBや在校生の作品のほか、同学苑で行っているさまざまな取り組みをご紹介しています。また、各界で輝くさまざまな人々を「美容」というキーワードで繋ぎ、盛り立てていくことで、美容業界の発展に貢献することを目的としております。

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