聴く人の心を震わせる深い声と圧倒的な歌唱力で、幅広い年代から支持されている歌姫、平原綾香さん。19歳のときに発表したデビュー曲「Jupiter」はミリオンセラーとなり、2004年の新潟県中越地震、2011年の東日本大震災の際も多くの被災者を勇気づけました。人々を温かく励ます歌声は、どのような想いから生まれたのでしょうか。
「私がコンサートで大切にしているのは、“共感”というキーワードです。歌っている歌詞にも、自分の声にも共感しながら奏でることで、私自身も救われていきますし、聴いている方にもその和が届くのではないかと思っています。 私自身、誰かのコンサートに行って泣いてしまうことがあるのですが、それもやはり共感したときなんですよね。ですから、“共感”というのは人間のいちばんの癒しなのではないかと思っているのです。かといって、共感してもらおうと考えて歌うわけではなく、自分の歌に真摯に向き合うことが共感につながるのかもしれないですね。 また、よく『心に寄り添いたい』とも言っています。震災が起こった後、いろいろな場所で歌わせていただいたときに、歌手にとっては心に寄り添って歌うことしかできないと痛感したのです。音楽は食料にも、電気にもならないですし、本当につらいときは、聴くこともできないですから。何もできないことに悩んだ時期もあったのですが、今できることをやろうというときに、やはり私は歌で伝えることしかできない。やるべきことは、寄り添って歌うことと思いながら、ステージで歌った記憶があります。だからそこにいくまでの心の持って行き方をどうしたらいいか。そういうことを最後には考えましたね」
歌声のみならず、美しい楽曲も製作されていますが、ふだんから創作のために心がけていることなど、何かありますか?
「日々生きていることがドラマなので、私は曲を作るために旅行に行ったりということは、したことがないんです。ですから、どこか憧れますね(笑)。旅行というよりは、お仕事のために飛行機に乗って海外など、どこかに行くことが多いので。ですから、曲を作るために何かを顔晴(がんば)らなきゃと思った記憶があまりないんです。ただ、書こう、書こうとするとあまり書けないのですが、お風呂に入っているときはすごく言葉が出てきますね。ちょうど髪を洗うようなタイミングで。『おっ!』というものが出てくることが多くて(笑)。私の場合は、歌詞の軸となるようなテーマや格言みたいなものが、頭の中にドンと落ちてくる感じ。そこから広げて書くことが多いですね。とはいえ、リラックスしていても書けないときもありますから、なかなか難しいんですけど」
ミュージカル、ドラマ出演、タップダンスと、さまざまなことに挑戦されていらっしゃいますが、新しいことにチャレンジするお気持ちは、どういうところから生まれるのですか?
「デビューしたての頃は、ある意味、自分の可能性を狭めていたような気がします。歌に関しても『これは私っぽくない』というふうに考えてしまっていたんですよね。でも、あるとき母にその曲を聴いてもらったら『あら、いい曲じゃない』と。『あーやが歌えば、あーやの歌になるんだから、自信を持って歌ってごらん』『補助輪を外して。音楽に補助輪はいらないと思うわよ』と言われたときに『ああ、確かにそうだな』と思って。それで、その曲を歌ったら、みんなからとてもいいと言ってもらえたのです。
ミュージカルに初めてチャレンジするときも、倉本聰さんから電話が来て『ドラマに出てみないか』と言われたときも、どちらも最初は断っていたんですね。特に倉本先生のときはそうだったんですが、先生が何回も連絡をくださるから『もしできなくても先生のせいにしちゃおう』と思って(笑)、挑戦しました。ミュージカルも断っていたのですが、心のなかではチャレンジしてみたいと思っている自分もいて……でも、失敗したくない自分もいる。そんなとき、ふと『できるかできないかじゃなく、自分がやりたいかやりたくないかを基準にして顔晴ってみよう』と思うようになったんですね。それから人生が変わっていったような気がします。
私には、けっこう天邪鬼なところがあったと思うんです。すごく好きなことがあっても、それをやろうとすると『なんか嫌だな』『不安だな』と思ったりする。私はクリスティーナ・アギレラが好きなのですが『クリスティーナ・アギレラに会えるよ』と言われたら、嬉しいけれどなにか嫌なんです。うまく振る舞えないかもしれないとか、考えてしまうからなんですね。そんなふうに、好きな人ほど会いたくないという気持ちになってしまう天邪鬼なところがあって、好きなものほど不安だったり、臆病になったりするということに気づいたんです。だから、ちょっと発想を変えてみて『こんなに不安で嫌な気持ちになっているということは、私、これは相当やりたいことなんだな』と思うようにして、挑戦するようにしています。それから本当にいろいろなスキルがついてきて、人生が変わってきました」
お母様のお言葉など、なんらかのきっかけがあることで、進化されているという感じがありますね。
「私は家族と住んでいるので、少しでも間違った方向に行ったら『それは違うよ』と正してくれます。そういう人がいるというのは、本当にありがたいこと。それがあったから、今ここにいますね。それがなかったら天狗になったり、勘違いしたりしていたかもしれないです」
まさに理想的なご家族ですね。最後に、山野学苑には「髪・顔・装い・精神美・健康美」という美道五大原則がありますが、平原さんにとっての「美道」とは、どういうものですか?
「やはり母の教えが頭のなかにずっとあります。『つらいときほど人のために生きなさい』『人を気遣うことは1秒でできる』とか。時間がないからと、そういうことを怠ってしまうと絶対によくないですよね。『音楽家である前に人間であれ』『どんなに素晴らしい音楽を奏でていても、人間的にダメならば意味がない』『練習は裏切らない』という父の言葉もあります。そういうものが私にとっては、いいなと思うんです。こういった“人間として大切なこと”をちゃんとやることこそが本当の美しさだと思います」