RIHANNA

Graduate

高木裕介さん(U-REALM)

YUSUKE TAKAGI

「SUPER BIDO」について、どういった感想をお持ちでしたか?

Y

学生も参加していてすごくレベルが高いなと思ったのと、本当に旬な人たちを呼んで制作しているので、非常に学生のためになるなと思いました。僕が学生のときにやって欲しかったです(笑)。これは絶対によそではできないし、そもそもレスリーが撮ってくれるなんて……世界的な、歴史に名が残る人ですからね。レスリーに写真を撮ってもらうというのは、僕がヘアメイクをやってSMAPを担当できるようになるまでいかないと会えないような、その道の頂点までいかないと一緒にできないような人なので。そう考えたときに、その仕事を間近で見られる学生はすごく幸せだなと思いました。

僕は美容学生には、即戦力として業界に上がってきて欲しいんですよ。ジェーン先生ともclubhouseで話したんですが、即戦力で来るべき時代がきてしまったので。そうなったときに、こういう活動はすごくいいですよね。どのくらいのスピードで僕らがやっているのかとかも、現場で見ているとわかるじゃないですか。3〜4カット撮影するときに、どのくらいのスピードで作るのかとか、直しに入るときのタイミングや時間なんかも。こういう現場を見たことがない人は、カメラ前で5分とかかけて直しちゃうんですよね。でも、一流のカメラマンだと、その時点でアウトになっちゃう。僕はカメラ前で直すときは、絶対に20秒はいかないようにしているんです。なので、撮り始めたらもうどこを直すか決めているんですよね。スタイリストさんが入ったり、服を直した瞬間とかに、5〜10秒で直せる場所──5秒で直すとしたらどこを直そうかな、みたいなことを考えながら見ていますが、そういう現場を見学できるというのがいいですよね。

1冊をとおしてのテーマは「ICON」で、モチーフはリアーナでした。どんなことを考えて作品を作られましたか。

Y

僕の場合は黒人のモデルさんでしたが、リアーナよりもくせがある髪だったので、それをどうやったら活かせるかということを考えました。大枠は変えないほうがレスリーは好きだと思っていたので、そのなかで、たとえば1パターン目はただのお団子ヘアで、顔にハートが載っているものでしたが、ブラックの人たちのキュッと張った生え際のところを歯ブラシを使って産毛を出してあげる。もみあげの部分もそうですが、そこをくるくるさせるだけで、ヘアに表情が出るんですね。日本人だと産毛は本当にちょっとだけなので、そこで表現するのはなかなか難しいんですけど。生え際の部分は最後に上げてしまったので、掲載時にはそちらを使われるかもしれないですが、そういうところで遊びながら、レスリーの空気感・世界観を壊さないように自分らしさを足していくという感じで仕上げました。自由にやろうというときならいいのですが、「VOGUE」や「ELLE」、そして今回のようにICONがある場合は、そこにオリジナリティをどのくらいのさじ加減でプラスしていこうかな、ということを考えます。

さじ加減については、もちろん撮影者の個性や世界観もありますし、その日の気分もあると思うんです。レスリーとはしょっちゅう会うわけではないので、メイクさんやスタイリストさんに今日の彼の雰囲気を聞きました。「今日はどっちかというとオリジナリティを出すと直されている感じでしたね」という情報が入ったので、「なるほどそういう気分ね」と。なので僕は、後れ毛や産毛を出したときも、カメラ前でレスリーに、これはあったほうがいいか、ないほうがいいかを聞きました。

撮影の軸がどこにあるかは、現場によって全然違ってきます。たとえばアイドルの撮影ならばアイドルが軸になりますし、事務所の場合もあります。今日はレスリーが軸だなと思ったんです。だからそこにピントを合わせているというだけで、ヘアカタログや業界誌の撮影であれば軸は僕らですし。そういうふうに、主軸がどこかによって、その人におうかがいを立ててものを作っていくというのがいちばんやりやすいし、スピードが出ると思います。

まさにプロの技、プロの意識ですね。作品についてはレスリーさんから大枠のご提案がありましたが、作るなかで気をつけていたことはありますか?

Y

1パターン目のハートの作品は、先にお伝えしたように、もみあげのちりちりだったりにかわいさをプラスしたりしてやりました。2パターン目のターバンの作品は、なかに付け毛をつけて、襟足から三つ編みをちょっと出したんですよ。あとはターバンの縛り方。どこから撮るかわからないなかで、リボンがきれいに立つようにというところを気をつけたかな。3パターン目の赤い髪がいちばん難しかったですね。あれは付け毛にカラーをしたんです。よく売っているウィッグはワインレッドに近い色しかないんですが、どちらかというとオレンジっぽいビビッドな赤の写真がレスリーから送られてきたんですね。5枚くらい送られてきた写真のうち、1枚だけ光が当たってちょっとオレンジがかっていたものがあったんです。レスリーも「オレンジっぽい、赤」と言っていましたし、彼のイメージと寸分違わない色味にしたかったので、前日に白いウィッグを買ってきて、夜中にカラーをしました。赤にオレンジを1足して、色を作ったんです。そうすれば、光が当たったときにじゃっかんオレンジっぽくなる。そう見せることもできるかな、と思ってやったのですが、これはこだわりですね。こだわりがどこかにあるというか、なあなあで作らないということです。ただ、ウィッグは上のほうが毛量が少ないのですが、植毛するほどの時間がなかったんですよね。本来ならば既製品の上に毛を貼ったりもするのですが、そこまではさすがにできなかったので、ちょっと悔しさも残っています。

とはいえ、僕はハードルが高いほうがうれしいですし、3人のなかでいちばん難しいモデルさんだったことも、逆によかったと思っています。「どうしようかな」というモデルさんのほうがスキルも上がりますし、アシスタントもその分苦労するので成長しますから。

お時間のないなか、ありがとうございました。ここからは作品以外のことについてうかがいますが、なぜ美容の道に進まれたのでしょうか?

Y

僕はもう、「かっこいいから」です。あとは、年を取ってからはそんなに気にしていないんですが、もともとすごいくせ毛なんですよ、僕。なのでよく地元の美容師さんに相談していました。当時はロングヘアが流行っていたんですが、僕がやるとどうしてもくせ毛のせいでふわふわっとしたロングになっちゃって。だから、高校生のときからストレートパーマをかけたり、髪をいじったりしていたんです。そのこと自体が好きでしたし、美容師になったら自分の髪をちゃんとできるなと思って、興味を持ちました。そこから始まったので、僕はいまいちばん得意なカットはくせ毛のカットなんです。

山野美容専門学校を選ばれた理由と、学生時代の思い出をうかがえますか。

Y

YAMANOを選んだのは、高校の担任の先生から「美容師になるならYAMANOに行け」と言われて。僕は北海道出身なので何もわからず、「札幌でいいよ」と言ったんですが、「ダメだ」と。そのときは「いや〜、東京かあ」と思ったりもしましたが、いまではありがたかったなと思っています。 当時は1年制でしたけど、生徒が1000人はいました。学校の思い出もたくさんあります。全部、けっこう鮮明に覚えているんですよね。学校の近くのファストフード店が溜まり場で、いつも学校帰りにみんなで美容の話とかをしていました。そのときの仲間が全員SHIMAに入ったんです。その世代、YAMANOからSHIMAにけっこう行ったんですよね。当時、僕は苦学生だったので、家賃2万5000円の風呂なしトイレ共同の家に住んでいました。当時でも築70年という朝ドラに使われるような古い家で、重要文化財になっていたんですよ。きれいな建物だったのですが、とにかく古くてお風呂がない。暖房も冷房もなくて、あの頃は、毎日「つらい」と思っていました。学校がイヤだとかじゃなくて、人生がつらいと思っていましたね(笑)。家に帰っても、お風呂やごはんの心配をしなきゃ、とか。お金もなかったので、バイトもしていましたし。朝までバイトして、そのまま寝ずに学校にきたこともありました。カラオケ屋さんでバイトをしていたので、5時くらいに終わるんですよ。それでちょっと寝て、8時半くらいには登校して……そのイメージが強すぎて、YAMANOというと「あのときはもう、本当にきつかったな」と(苦笑)。それまでは、北海道でぬくぬくと自由に育ってきたので、人生ではじめていろんな不自由と、強制的に覚えなきゃいけないことが一気にきた。それがちょうど、YAMANOに通っていたときだったので、たぶん一生忘れないですね。

卒業後も今回のように母校とつながる機会があったと思いますが、どういうことで卒業生は母校とつながれるのでしょうか。

Y

先ほども話しましたが、美容学生が即戦力として美容室に上がってこなくてはいけない時代が来てしまいました。美容師の給料がどんどん上がってきたことによって、美容室が昔ほど教育にコストを割けなくなり、アシスタントを育てられなくなっちゃったんですね。そういう現実が、都心では本当に近くに来ています。そういったなかですから、みんな、より即戦力を欲しがっている。ですから、僕やみやちくんみたいな人間が、教えに行こうと思っています。いままでは先生が教えてくれていて、国家試験もありますからそれはそれで大事なのですが、でも僕らは流行りのものを知っています。たとえば先月から流行っているものとか、「いまはこんな巻きが流行っているんだよ」、ということを教えることができる。より実践に近い、リアル教室みたいな感じですね。そういうものがあってもおもしろいんじゃないかと、ジェーン先生とも話していたんです。今回の撮影もそうです。今回は見てもらうだけでしたが、こういった授業のためだったら、僕はいつでも駆けつけます。僕らとしても、こういう機会はリクルートにつながりますから、win-winの機会になりますし。

学生さんにとっては、実践的でとてもありがたい機会になりそうですね。山野美容専門学校をご卒業されてからのご経歴をおうかがいできますか。

Y

YAMANOを卒業してSHIMAに入りました。そのあとULTRACという原宿の美容院を経てAFLOATに移り、そこで店長をやってから独立しました。AFLOATの宮村さんもYAMANO出身ですね。 僕らの時代は、ある程度の売上を上げるようになったり、名前が売れたりすると、独立するしかほぼ道がなかったんです。いまは売上に合わせて給料も変わってきますし、社会保険もきちんとしてるサロンが多くなりましたが、昔はけっこう大雑把だったんですね。ほかの人たちよりも頭ひとつ抜けてしまうと、働いた分だけもらえていないような感覚になってしまって。もう17年も前なのでだいぶ昔の話ですけど、そういう経緯もあり、時代的には自然な流れで独立したんです。とはいえ、独立後も4年間はAFLOATの傘下で、「U-REALM by AFLOAT」という形で暖簾分けさせてもらい、そこからの完全独立という流れです。もともと、学生時代からいつかは東京でお店を出したいと思っていたので、自然な流れだったと思います。

普段、お仕事をされているうえで、大事にされていることはなんですか?

Y

すべてにおいて想像力を大事にしています。たとえば今回の撮影では、レスリーが考えている「赤」はどんな赤なのかを想像したり。荷物や道具を用意するときも、「もしかしてこういうことになったら、レスリーはこれをやりたいって言うかもしれないな」というところまで思いを馳せて、その限界まで想像して準備をしました。可能性を全部考える想像力は、すごく大事かなと思います。ヘアメイクをしているときも、「もしかしたら3分後にこのタレントさんはティッシュを欲しいと言うかもしれない」とか、考えますね。たとえば相手がコーヒーを飲んでいるときに「ああ、コーヒーを飲んでいるな」で終わるのではなく、「こぼすかもしれないな」と先のことを考えて、2秒くらいで渡せる場所にティッシュを置いておいたりですとか。

こういった想像力はどの現場でも必要なんですが、いまは日本全体が、ちょっと想像力が乏しくなっている気がしています。怒られなくなりましたし、怒らなくなったので。僕らの時代は何かあるとコームが飛んできたりしましたし(笑)、怒られるのが怖いから先読みしたものですが、いまは怒る人がいないので、先読みの力は残念ながら下がっています。実際に僕も、自分のサロンにいる若い子をそんなふうに怒ったりはしませんから、彼らは自分で想像力を磨いていかなければならないかもしれませんね。

美容業界に対してこれから貢献していきたいと思われていることや、ご自身として叶えたい夢はありますか?

Y

シェアサロンやフリーランスなど、いまはいろいろな働き方があると思います。必然的にそういった形態が増えてきたので、それはそれでいいと思うのですが、それと同時に、先にお話ししたように教育できるサロンが減ってきたんですよね。でも、誰かが教育をしないと全体のレベルが下がってしまう。そんな状況下で、ちゃんと教育もするサロンで、社会保障もしっかりして、厚生年金も払うなど、きちんとした福利厚生をつけること。どうやったら労働環境をよくできるのかは、僕らの使命かなと思うんです。たとえば、社会保険に入っているサロンと入っていないサロンだと、65歳くらいでもらえる年金の額が大きく違います。入っていないサロンやフリーランスの場合、個人で国保に加入するわけですが、その場合は、いまの段階で計算すると、だいたい8万円くらいなんですよ。でも、ちゃんと社会保険に入っていて、厚生年金をかけてもらっている場合は、年収にもよりますが、15〜20万円くらいになります。若いときの10万円と、65歳より上になってからの10万円の価値って、3〜4倍の違いがあるんですね。若ければ10万円くらい埋めるのは簡単ですが、65歳を過ぎると仕事も少なくなってきますから。「フリーのほうが楽だから」「自由だから」というのでそちらを選択してしまって、年齢を重ねてから苦労する可能性もある。そういうことを知ったうえでフリーが好きだというのであればいいと思いますが、全部知ったうえで働いたほうがいいなとは思います。

僕としては、昔ながらの教育をするようなサロンを減らしたくないですし、そのためにどういう経営をしていくかということは、いますごく課題になっています。美容業界は教育産業だと思っていますし、その原点は山野美容専門学校ですね。

最後に、美容業界を志す後輩たちにひと言いただけますか。

Y

どんな店で、どんな働き方をするかということがフィーチャーされやすいのですが、美容師は「上手い」がいちばん正義です。上手いには、なんにも勝てません。何をするにしても上手であれば、お金も時間もどうにでもなる商売なんです。なので、とにかく上手い美容師さんにさえなれば、一生食っていけます。どんな環境であっても、フリーランスでも、社員でも、経営者になるのでも、おじいちゃんおばあちゃんになるまでやるのでも、上手いという1点があれば、どこにでも転べるんです。究極の実力主義世界ですから、最初のうちは働き方などに惑わされずに、5年くらいはとにかくとことん上手くなることだけに集中したほうが、あとあと楽になりますよ。僕自身、最初の頃は売れることだけを考えていたので、働き方や社会保険なんかについては、全然覚えていないんです。「ここに上手い人がいて、教えて欲しいからここで働く」としか考えていませんでした。いまはどのサロンも社会保険に入り始めているので大丈夫だと思いますが、そういった環境よりも大事なことは、最初の5年だけはブレずに「上手くなること」です。そのために必要なのが、想像力と技術力ですね。年齢を重ねて20代半ばを過ぎると、だんだん集中力も落ちてきます。感性は鍛えることができますが、若いうちのフレッシュな感性と、それを持っての集中力は、スポーツと同じで年々衰えてきますから。でも、若いうちにしっかり技術力と想像力を培っておけば、それを埋めたうえで成熟していけます。

最初の5年間がその後の美容師人生を決める大事な時期なのですね。ありがとうございました。